妻が精神病に!?~チューヨー妻のケース~

うなだれる女性

発症までのできごと

〜妻の異変〜

2020年夏、東京オリンピックが延期されるほどのコロナ禍の真っ只中でした。それとは対照的に、我が家に第二子となる次女ちゃんが生まれ、赤ちゃんの世話に慌ただしくも平穏な毎日を暮らしていました。

家族の状況

チューヨー(私)フルタイム勤務のサラリーマン
育児休業中の会社員
長女ちゃん幼稚園の年長(6才)
次女ちゃん生後5ヶ月

2020年12月

コロナ禍のため帰省を諦め、家族4人で自宅で過ごしていた年末年始のことです。妻は、熟睡できず睡眠不足でした。加えて、食欲や元気がありませんでした。家族で公園に遊びに行っても、ぼーっと白昼の月を眺めていました

主な不調は次の通りです。。

  • 十分な睡眠が取れない
  • 食欲がない
  • 昼間にぼーっとすることが多くなる
  • 何となく不安でソワソワする

ただ、次女ちゃんにおっぱいをあげたり、おむつを替えたり、あやしたりしていたので、育児に関して全く問題がありませんでした。ゆっくり過ごしていれば良くなっていくと楽観していました。そんな中、年明け早々に決定的な症状が現れたのです。

異常の表面化(1月2日のできごと)

1月2日になって「明日、地震が起きるから危ない」と言いだした妻。以前から、「地震対策をしないとね」と防災意識が高かったのですが、それを考慮しても普通ではない発言でした。

小さい子供がいるため、日頃から防災グッズ(飲料水や簡易トイレ、大容量バッテリー、ソーラーパネル、カセットコンロ、カセットボンベなど)を少しずつ買い集めていました。そんな矢先の発言にどうしたら良いものかと困りました。

私が「いつ地震が発生してもおかしくないけど、なんで明日なの?」と聞いても、

妻は、「とにかく地震が起きるから」とか「チューヨーの母や兄が危ないので何とかしなければならない」と言い、不安な様子でした。

私の母や兄に会えれば安心するかなと思い、私の実家に家族4人で行くことにしました。さっそく母に連絡したら、OKとのことなので、パパッと一泊できるくらいの準備をして出発。片道1時間の距離にある実家に特にトラブルもなく到着しました。

到着して、母に会えて安心したのか気が紛れたのか、妻は落ち着いていました。その日は、家族でお酒を飲みながら、なんだかんだ正月っぽく過ごしました。

異常の進行(1月3日のできごと)

翌朝、すぐに感じた妻への違和感は、私の母に対してタメ口で話していることでした。昨日まで、敬語だったのにどうしたものかと考えていました。

私は、子供たちと久々の実家でまったり過ごしていたら、突然、キッチンにいた母に呼ばれました。

キッチンに行くと妻が母に抱きつきながら泣き崩れている状態でした。一体、何が起きたのかよくわかりませんでしたが、今日までの妻の経過を考えると、なんとなく納得できるのでした。

妻の様子を見た母は、私に「明日(御用はじめ)は仕事を休みなさい」と言い、私は休むことを決断したのです。

兄から、

「チューヨー家族が住んでいる場所は沿岸部でもなく埋立地でもないので、地震が発生しても安心できるよ」

となだめられ、妻はやや落ち着きを取り戻しました。

地震が発生すると妻が思っている今日が過ぎれば、安心するだろうとの考えが、まだ私にありました。

昼過ぎ、地震に備えるため自宅へと帰ることになりました。帰路の途中、次女ちゃんの授乳のため休憩したときにあることに気が付きました。

授乳の間隔が短い。

次女ちゃんが産まれてからほぼ完全母乳で育てています。生後5ヶ月が経って、授乳の間隔は3時間くらいで安定していたはず。前の授乳から1時間くらいしか経っていませんでした。原因は後々わかりました。食欲がなく、全然食事をとっていない妻の母乳にはほとんど栄養がないのです。そのため授乳してもすぐに次女ちゃんのお腹が空いてしまうのでした。

帰宅後は地震対策のため、キッチンの棚にあったトースターや電子レンジをはじめ、落下の危険のある家財が妻によって次々に床に置かれていきます。あっという間に、床は物だらけになりました。

私はというと、地震対策をするしかありません。妻の”虫の知らせ“が本当になるかもしれません。風呂の浴槽に水をためたりしていました。

回顧していて、ふと、長女ちゃんがどのような様子だったのか気になりました。今となっては全くと言っていいほど記憶に残っていません。予想できるのは違和感を感じて静かに過ごしていたのだろうなということでした。

異常行動(1月4日)

翌日、私は年始早々、職場に休むことを連絡しました。休む理由が、「妻の調子が悪い」という何とも歯切れの悪いものでしたが、上司は承諾してくれました。

私は”虫の知らせ”が杞憂に終わったことで、妻が安心していると思い

「地震が発生しなくてよかった。もう大丈夫じゃない?」

と伝えました。しかし、次の妻の発言に衝撃を受けました。

「今日、地震が起きるよ」

はっきり言って、「は?何言ってるの?」という気分でした。こんな調子で毎日地震が発生するなんて言われてしまったら、足の踏み場もないキッチンで毎日暮らすことになります。そして、妻の状態がこのままずっと続いていくかもしれないと焦りが強くなりました。

昨日、地震が発生しなかったためか、少しいらだった私の態度のせいなのか、わかりませんが妻の何かが壊れてしまったかのように、だんだんと異常行動が増えていきます。

まずは、キッチン照明の壁スイッチとリビング照明の壁スイッチのところを何度も往復し始めました。加えて、目についた物を指差しその名前を連呼することでした。「リモコン、リモコン、リモコン、ティッシュ、ティッシュ、ティッシュ」といった具合に休みなく次々と言い続けるのでした。

私が止めようとしても止まりません。5〜6メートルの間の往復が30分以上続きました。そんな妻の様子を子供たちは楽しそうに眺めていました。

私はなす術がなく、何か解決の糸口がつかめないかと色々と話しかけてみましたが、異常行動が止まりません。体力がない妻は、徒歩シャトルランに疲れ、リビングのイスに座り、次の異常行動が始まりました。

スマホの画面をピアノを弾くようにタップしています。よく見ると保存されている写真一覧を上下にスクロールすることを延々と繰り返していました。

そこで私は、気分転換ができれば少し良くなるのでは?と考え、妻を散歩に誘ってみました。すると

「行かない」

と妻が言います。なので半ば強引に家から連れ出してみました。

ここで更に異常行動が明確になっていきます。

  • 隣家のインターホンを用もなく押す
  • 通りがかった配送の軽トラックの運転手を知り合いと勘違いし、走行中のトラックの前に出て止めさせる

早々に帰宅することになりました。家から20メートルも散歩できませんでした。

帰宅してからも妻はひたすらスマホの画面をタップします。そんな様子をしばらく観察していた私はあることに気が付きます。妻が私の兄にLINEで大量のスタンプを送っていることでした。

そこで謝罪も兼ねて、私から兄に連絡してみると

「妻ちゃんの気が紛れるのであれば、スタンプを大量に送られても全く気にならない

とのことでした。そして、昨日の妻の様子を知っている兄は心配してくれて、

「大変そうだから家に行こうか?」

と提案してくれました。

正直、私だけでは何ともならない、どうしたら良いかわからない、子供達の面倒はどうしよう、そんなことで途方に暮れていた私にとって、とてもありがたい提案でした。

夕方頃に、兄が家に来てくれました。妻の異常行動に変化はほとんどありませんでしたが、私は本当にほっとしました。

また、妻や子供たちを残して買い物に行けない状況からも脱することができました。すでに夕方になってしまっていたので、夕食や食材を買って、妻以外の皆んなで夕食をとりました。

妻はというと、朝から何も食べていません。食べることをすすめても食べません。口にしている物といえば、水か先ほど買ってきたジンジャーエールだけです。

この頃から私たちに対して妻から話しかけられることがなくなりました。

そして兄から今後を左右する発言があったのは食後、少ししてからでした。

「もうダメだから、妻ちゃんの両親に連絡しなさい」

これは私にとって”最後通牒”でした。兄はうつ病にかかったことがあるため、精神病について良く知っていました。兄が言うくらいだからもう、間違いない。妻は精神の病気だと理解しました。

私は妻が精神病であると信じたくない気持ちがありました。何とかなるのでは。時間が解決してくれるのでは。まだ間に合うのでは。

全て手遅れでした。自分ではもうどうにもならない。自分だけでは妻が救えないのだと降伏した瞬間でした。

ここから妻の病気と向き合い、歩んでいく日々が始まるのでした。

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