義母との冷戦!?家事、育児の試験とは?

台所で調理する男性

妻が精神病で入院直後、家族の生活とはどのようなものだったのか紹介します。

実母と義母の全面戦争!?

妻が入院してしばらくは、義母が家にいて手伝ってくれました。まだ育休を取得していなかったことやチューヨー1人で2人の子どもの面倒を見るのは大変だろうという配慮でした。

そんな頃に実母も私や孫たちの様子が気になり、数時間だけ家に来てくれることになったのです。私、義母、実母の3人で話し合っている中、長女ちゃんの幼稚園のお弁当の話題になりました。

長女ちゃんの幼稚園では、週に3日間が給食、2日間がお弁当となっています。ただし、家庭の事情によりお弁当を持参できない場合は、全日、給食に変更することができます。

朝にお弁当をチューヨーが作れるのか心配していた義母。それに対して、「万が一、無理そうなら給食に変更できるので大丈夫ですよ」と私。それに実母も大賛成。しかし、義母は「そんなのダメよ!」と一喝。一気にその場が重くなります。そして義母が泣き始めてしまいました。

少しして、実母が子どもたちと遊び始めました。そこで義母が私に「どういうことなの!?どうにかして!」と言うのでした。何のことを言っているのかさっぱりわかりませんでしたが、先ほどのやりとりのことだろうなと思い、急遽、実母に「義母に謝ってほしい」と伝えました。すると実母は土下座して謝罪するのでした。時間差がありますが親子で、義母に土下座してるのかよと思いました。そんな時、義母が衝撃の一言。

「もう、長女ちゃんや次女ちゃんの面倒を見なくていい!」

義母が実母に対する決別の宣言でした。少なくとも私はそう解釈しました。そして、謝罪する実母に何ら気持ちを抑えることができない実母に怒りを覚えました。

冷静に話し合うことができなくなったのと面倒くさくなったので実母を帰宅させることにしました。最寄り駅まで送る道中、私と2人きりの場で、実母は「義母は病気だな。孫の面倒見なくて良いのなら、楽でよかったー」と言い、動じない姿勢に私は実母を尊敬するのでした。

そして、今後、義母と実母が同じ空間にいることができなくなりました。

帰宅後、義母は、実母に対して「娘のことで大変でしたねとか、ねぎらう言葉がなかった!」と言い、不満をぶちまけていました。加えて、「お弁当の話のときに、嘘でも良いから、弁当作り頑張りますって言いなさい!」と私がお叱りを受けました。

何で実母に嘘つかなきゃならないのかと不満でいっぱいでしたが、家庭崩壊を防ぐため、沈黙という精一杯の抵抗をしたのでした。

そして、義母という爆弾を抱えたまま、育休生活が始まるのです。

義母との冷戦

義母は、「チューヨーがきちんと家事や育児ができるのかどうか確認できたら帰宅する」と言い、完全にお目付役になりました。情緒不安定な義母とずっと一緒にいたら、こちらも調子悪くなりそうです。家事、育児を完璧にこなし、早々に帰宅してもらうことが次の目標となりました。

そのため、朝から晩までひたすら家事育児をこなす毎日です。主に次の内容を続けました。

  1. 次女ちゃんのミルク
  2. 朝昼晩の食事の用意、片付け
  3. 洗濯
  4. 掃除
  5. 買い物
  6. 長女ちゃんの幼稚園の送り迎え
  7. 子どもたちの入浴
  8. 子どもたちの寝かしつけ

詳細を順番に紹介します。

次女ちゃんのミルク

生後5カ月の次女ちゃんには、そろそろ離乳食を開始する時期でもありましたが、余裕がないので、ミルクを3時間ごとに与えるのみです。最初は、おなかをすかせて泣かせることもありましたが、コツを掴んでからはほぼ泣く直前にミルクをあげました。夜の睡眠中も私の意識がミルクをあげることに向いているので、次女ちゃんがちょっとでも「ふにゃふにゃ」とミルクの兆候を感じたら、瞬時に起床。20時にミルク後みんなで就寝、0時にミルク、3時のミルクで私が起床する7時間睡眠のパターンでした。なお、義母がミルクをあげたいと言わない限り、義母に任せたことはありません。

朝昼晩の食事の用意、片付け

前述の通り、義母は食事を手作りする主義の世界に生きている人です。どうすることもできないので、私が料理して提供しました。とはいえ、その条件の中でかなり楽をしていました。

  • 朝食:前日の夕食の残り
  • 昼食:幼稚園で長女ちゃんがいなくなる平日に関しては、義母と私の2人きりの食事になってしまうため、それぞれが自由に摂ることになりました。(手作りしなくても良い)
  • 夕食:手作り(そうざいを買うのは不可。味付け肉を購入し、焼くだけは可)

※義母は味噌汁にこだわりがあり、朝夕の味噌汁を作ってくれました。

したがって、気合いを入れて作るのは長女ちゃんの弁当(週2回)と夕食のみです。弁当は、卵焼きだけ手作りで、残りは冷凍食品を詰めました。(なぜかこれはOKでした)

夕食は、時短のため元々、家にあったホットクックを利用しました。ホットクックは、電気式の加熱調理機です。鍋のような容器に具材と調味料を入れてフタを閉めて、スイッチを押すだけで加熱と混ぜるのを自動でやってくれます。料理に合わせて、加熱温度、時間、混ぜる工程を変えてくれるので、タイマーを設定すれば夕食の時間にできあがります。子どもの世話などで準備する時間が夕方に取れない人にはオススメです!

ホットクックの詳細は、記事にまとめていますのでご確認ください。(子育て家庭の味方!時短家電、第三弾!自動調理鍋のメリットとは?

洗濯

義母の分まで洗濯しました。もちろん、干して畳むまでです。さすがに干すときは、次女ちゃんを義母に任せてました。

掃除

妻が入院する前は、掃除する余裕もなく、何日間もゴミがたまり続けていました。荒れ放題だったので、掃除機がけや布団干しを少しずつやりました。

買い物

次女ちゃんを義母に任せて買い物に行くことはありません。出かけるときは常に一緒です。車で行き、店内ではスーパーに置いてあるベビーカートを使用するととても便利です。我が家は、マイバッグの代わりにマイ買い物カゴを使うので、自宅のベビーカーだと、カゴ2つを持って買い物することとなります。これはとても難しいのです。次女ちゃんがグズルときは、抱っこ紐+スーパーの買い物カートを使うと楽です。

長女ちゃんの送り迎え

朝8時に送り、15時にお迎えです。前述のとおり、出かけるときは次女ちゃんも一緒です。どんなに寒くても、雨が降っていても一緒です。家からたった200メートルの幼稚園バスの集合場所ですが、義母から何と言われようと次女ちゃんも連れて行きました。

幼稚園のことはほとんど妻に任せていたので、幼稚園の制度やルールが全然わかりません。そこで助かったのは、同じ集合場所にいるお母さんでした。利用するバスの集合場所には、私たちの他に1組しかいませんでした。それだけに他に話す人もいませんし、頼る人もいません。事情を簡単に話し、疑問や注意点を教えてもらいました。

子どもたちの入浴

次女ちゃんは、首座りができた直後くらいなので、私の膝の上に寝かせて洗います。したがって、私も一緒に入浴します。すると、自分の身体を洗うときに次女ちゃんをどこかに寝かせる必要があります。お風呂用ベビーチェアを使用しても良かったのですが、シャンプーで目をつぶっているときに何かあったらと不安です。

また、私が入浴中に浴室の外の床に寝かせるのも1月の真冬なので寒い。この場合、次女ちゃんの様子を見るため、浴室の扉を開けたままにする必要があるため、私も寒い。

困りましたが、ここは義母にお願いして解決しました。私自身の身体が洗い終わったら次女ちゃんを浴室の外に寝転がせてもらい、私が次女ちゃんを拾い上げ、入浴。次女ちゃんの身体が洗い終わったら、今度は逆に私が次女ちゃんを浴室の外に寝転がせ、義母が次女ちゃんを拾い上げ、身体を拭き、服を着させる。

そうすると、とてもスムーズに入浴ができて助かります。

長女ちゃんは、自分で頭を洗えないので、私が洗ってあげました。それ以外はできるので、次女ちゃんに比べればとても楽でした。

子どもたちの寝かしつけ

次女ちゃんは、ミルクをあげて抱っこしていれば、自然と寝てくれるので苦労しませんでした。布団に寝かせるときも、そっと置けば起きないので、問題ありません。長女ちゃんが小さい頃は、いわゆる「背中スイッチ」と呼ばれる布団に寝かされた瞬間に起きて泣くスイッチがあったので、寝かしつけには大変でした。姉妹でも個人差があるのだなと感心しました。

長女ちゃんの体調の変化

長女ちゃんはというと、少し問題がありました。妻の入院前まで家族4人で一緒の部屋で寝ていました。今は妻がいません。寂しくなって毎晩のように泣いてしまうのでした。時が経つにつれて、泣く頻度が少なくなり、1カ月ほどで泣かなくなりましたが、ときには私も一緒に泣くこともありました。

泣かなくなった頃に、長女ちゃんに夢遊病の症状が現れます。深夜に突然、起きて笑いながら歩き回るのです。私が話しかけても反応がありません。最初はどうしてしまったのか分からず、私も一緒に右往左往しました。長女ちゃんがトイレの前に来たところでおしっこを漏らしました。次の日、このことを長女ちゃんに話しても記憶がありません。

気になってネットで調べてみると、夢遊病の症状と同じです。大きくなれば自然と症状がなくなるようなので、しばらく様子見です。

その後、同じ症状が現れても、おしっこがしたくて起きることが分かっているので、私が長女ちゃんをトイレまで誘導しました。おしっこが終わって、布団に誘導するとすぐに寝ました。1カ月に1回の頻度で3回ほどありましたが、小学校2年に上がるまでには、なくなりました。妻が入院した一連のことが長女ちゃんにとてもストレスになっていたのだろうと理解しています。

冷戦の終結

こうして、義母を追い出すため、なるべく手を借りずに家事育児をこなしてきました。義母がすることは、次女ちゃん入浴の手伝い、私が洗濯物を干しているときの次女ちゃんの世話、味噌汁作りくらいなものです。1カ月ほどして、ついに義母が自ら「もう、チューヨーの家事や育児は問題なさそうだから、帰宅する」と宣言しました。正直、やったー!という気持ちです。1カ月はかなり長く感じましたが、義母という爆弾を抱えながらの生活に終止符が打たれました!

しかし、解放されたかと思いきや、また新たな問題が発生するのです。

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