義母から言われた衝撃的な言葉
私が義母から言われたのは
「あなたのせいで娘(チューヨーの妻)が病気になったのよ!!」
でした。
私は驚くとともに、どうしてこんなことを言うのか理解ができず立ち尽くすだけでした。見かねた実姉が「誰かが原因ということはないと思いますよ」と諭しても特に変化がないお母さん。
そうこうしているうちに実姉が帰らなければならない時間となり、私を支援してくれる人がいなくなります。ただ、以前に兄がいなくなったときよりも心細くありません。もう、覚悟が決まっていました。実姉が帰宅し、義母は泣きながら誰かと電話しています。私としては何とかして共同戦線を維持しなくてはなりません。対話を続けたい。その意思を伝えても、伝わりません。
とりあえず私は、この場を収拾しなければなりません。すぐに家庭崩壊する状況です。私にできることと言えば、土下座して謝るしかありません。妻に続き、義母にも土下座することとなるとは思いませんでしたが、やりました。ただし、気持ちは入らない。こんな理不尽なことはない。私だって限界だよ。
それを察してか、義母も「そんな形だけの謝罪なんていらない」と言う始末。なかなか、苦しい状況です。ただし、みんな同じような状況で、何とか自分自身の感情を制御しています。みんなギリギリです。義母だけ感情を爆発させて許されるものではありません。そのような感情の中、この場を収拾するためには自分が折れて謝罪するしかないのでした。
少し時間がたってから、義母は落ち着いていました。私としては、家の中に妻と義母の2人の爆弾を抱えたまま明日を迎えることになりますが、もう自分で何かできることはありません。無事に入院できることを祈っていました。
感情を爆発させた要因
今となっては、義母がそのようになってしまったのは理解できます。
それは以下の通りです。
- 精神病は遺伝すること
- 全員、睡眠不足であったこと
- 妻の病状に悲観していたこと
- 妻から暴言を受けて精神的に摩耗していたこと
- 妻を任せっきりにしていたこと
- 妻の日記をずっと読んでいたこと
妻の病気の要因が、私にあったのでは?と自分自身に問いかけることは当然ありました。なにしろ、私が一番そばにいて、私が一番に影響を与えた人間ですから。妻の両親から「なんで症状がひどくなる前に私たちに言ってくれないのか」と言われていたので、なおさらです。
ただし、原因が何だったのかを考えている暇はありません。なにしろ、病名だってはっきりしていないのですから、あれこれ言っていても仕方がないことなのです。
入院予定日(1月9日のできごと)
入院できるのか?
妻の症状の悪化もありますが、私たち家族やサポートしてくれる親族もそろそろ限界です。生活の再建には、もう入院が必須です。病院から連絡が来るのを待つ間は本当に祈る思いでした。この日も妻はコップの水を床にまき散らす等、大暴れです。
そして、病院からの連絡が来たのです。
- 13時に病気に来ること
- 入院できるかどうかは診察してから
- 精神病院に行くことを妻に説明すること
と言われました。
妻に説明する理由は、本人が納得していないと行く途中や病院で激しく抵抗されるためです。この事前説明に私はタイミングを見計らっていましたが、最終的に車の中で伝えました。
病院に行くときは自家用車で
病院へ行く手段は様々ありますが、基本的には自家用車です。電車などの公共交通機関では、妻が大暴れしたときに制御できません。タクシーに関しても、途中でタクシー側から乗車拒否される可能性があります。そのため、義姉が運転する自家用車に妻の両脇に私と義父が乗車し、何かあっても対処できる体制で出発しました。
車中で妻に「病院に行くよ、遅くなってごめんね」と言うと、妻は「ごめんね」と言いながら涙を流しました。久々にまともな会話ができるほどに非常に落ち着いていました。
病院から家まで1時間ほどの距離にありますが、11時30分頃に家を出ました。当然ですが、早く着いたので私だけ病院の中に入り、受付に到着したことを伝えました。医師が休憩中のため、13時に妻を連れてくるよう言われます。妻たちは車中に待機し、私だけ問診票を作成するため、受付にいました。
しばらくして、妻たちが院内に入ってきます。妻がトイレに行きたいためでした。義姉と義父に両脇を固められながら、さっきまで落ち着いていた妻が再び大声をあげています。その様子に院内がざわめきます。
トイレを済ませ、再び車内に戻る妻たち。受付の人に再び呼ばれ、13時まで待つのは大変だということで、医師に相談した結果、すぐに診察してもらうことになりました。
閉鎖病棟の入口に車をピッタリに付けるよう誘導されます。そして、医師を含めた病院スタッフ6~7名が入口に待ち構える中、抵抗することなく妻とみんなで病棟に入ります。
想像していたよりも非常に清潔で明るい雰囲気の病棟内。なるべくキレイな病院を選んでいただいたことを思い出します。
会議室で私たち家族が同席しながら、妻が医師の診察を受けます。医師から名前や症状、治療の必要性等の質問を受けますが、妻はまともな受け答えができません。
ここで、医師から医療保護入院の必要性が告げられました。妻は、叫びながら病院のスタッフさんに両脇を固められ院内へと連れていかれます。あっという間の出来事でした。しばらくの間、会えないと考えれば、さよならの挨拶もできない、あっけない別れでした。
次に医師から医療保護入院の説明があり、
- 医療保護入院は、入院の必要性があるにも関わらず、本人の同意が得られないときに、家族の同意で入院させることができる制度であること
- 暴れるのを防ぐため拘束具をつけること
- 拘束具によって手足に傷がついてしまうことがあること
- 鎮静剤を点滴で投与すること
- 入院が3ヶ月に及ぶこと
- 上記について同意書を提出すること
以上のとおりでした。
したがって、その場で私は5〜6枚の同意書の署名をしました。同意書を書けば書くほど、「どうしてこうなってしまったのだろう」と虚しさと悲しみが込み上げていきます。今、署名している同意書がどんな内容なのかもわからないくらい、心を揺さぶられました。書類とともに罪悪感が重なってゆくのでした。
署名を終え、手続きや入院生活で必要なものの説明を受け、帰路につきました。車中は安堵と罪悪感が入り混じった、やや重苦しい空気でしたが、妻の見張りをしなくて良くなったこと、気にせず眠れること、ヘルプの方は家に帰れることから達成感の方が強かったです。
ここで入院までの流れをまとめます。
- 病気の認識
- 初診(ここが最も重要)
- 精神社会福祉士と保健師への相談
- 入院する病院の選定
- 入院する病院への連絡
- 患者を病院へ移送する
- 診察を経て入院
病気であると認識することも難しいのですが、精神科を受診しようと行動することは、さらに難しいことです。
発症の要因は?
過去に戻れたとしても、妻の発症を防ぐことは難しいと考えています。なぜなら、本人が精神病患者であることを認めたがらないからです。
「まさか自分がそんな病気にかかるわけがない」、「精神病なんてみっともない」そんなイメージを持っていました。妻は医療関係者で知識がある分、その気持ちがより強かったです。
他人の行動を変えることは非常に難しい。ましてや、負のイメージの強い精神病を払拭し、病院を受診させることは私にはできませんでしたし、私自身も妻と同じようなイメージを持っていたので、どうすることもできませんでした。